くだもの名人の菱沼健一からみなさまへメッセージ
私たちは福島県福島市でさくらんぼ・桃・りんごの栽培しております。しかしながら、おもしろいことはそれらの果樹をつくりあげているのは実は私たちではないということです。
おいしい福島のさくらんぼ・桃・りんごを育てているのは木と葉、そして土なのです。木と葉はそれぞれ太陽・水・土など、自然の力を利用しておいしい果実をつくっているのです。
私たちがふだんおこなっている栽培というのは、そんな働き者である木と葉のお手伝いをするということに尽きます、それが栽培というものなのです。
安心・安全はもとより、食べ物のおいしさをよりおいしく引き出す為に毎日欠かさず試行錯誤をしております。
ホームページやブログを通して私たち菱沼農園の生の姿や現状を思いっきり伝えていけたらと考えております。
2012年11月 吉日 菱沼農園代表 菱沼 健一
菱沼農園ができるまで
私(代表:菱沼健一)は昭和28年2月に生まれ、農業関係の学校を卒業後、20歳の頃から専業農家として農園の仕事を始めましたので、農業経験は今年で40年となります。私が農業を始めることとなったきっかけは、父(菱沼健男)が農家であったこと。職業軍人であった私の祖父(菱沼吉蔵)が定年した戦後、福島県福島市飯坂町の山の畑を開墾したことが菱沼農園の始まりとなります。戦後の農地解放もあって、接収されそうになったときに私の父が農家として本格的に動き出したのでした。
山の畑を開墾、うまくいかず
しかしながら、山の畑を開墾した当時は害虫や獣との戦いが絶えず、りんごの畑も桃の畑も全くうまくいきませんでした。最初はウサギと戦い、後々カモシカとも戦いました。山ではウサギやカモシカ以外にもクマやサルもいますから厳しい環境です。当時はとにかく害虫や獣と戦うことに必死で、相馬あたりの漁師から漁網を譲り受け、カモシカの駆除を手がけたこともありました。そのときの努力は今の栽培にとって大きな強みとなっています。
また、菱沼農園史上最も強敵であったのはやはり野生のサルでした。サルは賢く、どんなことをしても見破られてしまい、そのとき初めて、山の農地を諦めることとなってしまいました。しかしその後、中途半端で終わってしまった農業をどうしても諦めることができず、平地の農地を求めて作付面積を増やしていき、同時に農地エリアでは後継ぎがいないなどの問題で農地を手放す農家が増えてきた時期でもあり、自らの拠点を現在の地域に作ることとなりました。
当時のまま、山の畑で栽培を続けていたらきっと今のように皆様から愛される桃やりんごを育てることはできなかったでしょう。当時は当時で辛いこともたくさんありましたが、今となってはあのときサルがウチのりんごをたくさん食べてくれたことが今につながっていますね、サル様々です。
温泉街の売店で販売
本格的に農園を広げた頃は、飯坂温泉街の売店で果物の販売をしておりました。その中で色々な消費者のニーズを目の当たりにし、色々なことにチャレンジしましたが、間もなく、温泉は不況となり、次に通販に乗り出しました。生産活動としての農業はもちろん、早くから消費者への販売に力を入れ、消費者の求めるものを実現しようとしたことは菱沼農園の強みです。大手の量販店からも指名買いが入るほどの果物も、最初はゼロどころか、マイナスからの出発でしたが、すべてが強みと自信へとつながっています。